本当は1月1日から始めたかったけど、伸びてしまった。
なぜ又書き始めるかというと、漠然と書かねばと思っていた(後述)のもあるが、
直接のきっかけは『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』(上田啓太)を読んでいたら、又書きたくなったからである。
仕事をやめた著者が元々2ヶ月の期限付きで知人宅の物置(一畳半)に転がり込み、結局2190日居候するという話らしい。らしいというのは、まだ途中までしか読んでいないため。
しかし、2000日という期間の割には、ページ数が少ない。
200ページしか無い。
電車に載っている時間だけで50ページくらい読んでしまい、あっさり300日以上が過ぎた。
300日目~1000日目に付いての言及が、29ページ目から始まる。
序盤はあまり記録していなかったのかもしれない。
本人にしてみれば、いつまで続くか分からないし、書き留めておくことが価値を持つかどうかもわからないわけだし。
いずれにせよ、が自分の今の状況に合致していて面白いというか身につまされるというか。
自分も又日記を書こうという気持ちにさせられた。
元々漠然と、このニート期間をブログに書き留めておかないと本当に意味のない期間になってしまうという危機感はあった。
まあ、このような停滞期間には結局意味はないのかもしれないんだけど、記録することで記録しないよりは意味のあるものになるのではないか。と思う。
少なくともあったのかなかったのかわからない、何をしていたのかもわからないブラックボックスの状態ではなくなるのではないか。
どこにも記さずに過ぎ去ってしまえば思い出せなくなってしまい、それはなかったのと同義である。
「この空白期間に何をしていましたか?」の1つの答えになるのではないか。
…いや、ならんか。日記を書くためにニートをしてるんじゃないから。
日記は生活の副次的なものとして生まれるわけで。
この質問の意図としてはなぜそういう生活をしていたのかを聞きたいんだよな。こっちが聞きたいわ。
「大したことは何もしていませんが、日記だけはつけていました。
ブログで毎日つけておりましたので、もし、ご興味がありましたら、なにか日にちを指定してもらえれば、ここで読み上げることも可能です」なんて言えたら、まだマシかもしれない。
まあ1年以上過ぎているので、それも叶わんが。
もともとこのブログは知り合い数人に見せようと思っていたのだが、
もたついているうちに知り合いも皆失踪。
目的の喪失(=見せる人が居ない)により書く理由がなくなり、放置していた。
いつからか、漠然と記録をつけたほうが良いんじゃないかと、そんな風に思うだけは思っていた。
けどきっかけというか、動機がなかった。
それをまあ、本を読んでいてちょっと書いてみようという気持ちになった。
見せる相手も居ないんで、これが動機でも良いじゃあないか。
そんなわけだ。
過去の日記は破壊し尽くしたいが、断腸の思いで残しておく。
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