20年来の宿題を果たした話。

今日は通院日

待合室で『肥後の石工』を読みながら2時間ほど待った。

この作品は20年くらい前(小学校の頃と思う)に、
国語か何かの教材に出てきて知ったものと思われる。
内容は全く覚えていないが、タイトルだけ覚えていたものである。

いつか読みたいと思っていたが、20年以上経ってしまった。
今となっては、当時この作品の何が引っかかったのかは全く覚えていない。

『肥後の石工』あらすじ

肥後(熊本)は砥用村の石工、岩永三五郎はその腕を買われ、
薩摩藩(鹿児島)で石工衆の頭として、石橋を作る任にあたっていた。

その石橋は見事なアーチ橋でありながら、ある仕掛けが施されていた。
有事の際には要の石を抜くと容易に崩壊し、敵の侵入を防ぐような仕組みとなっていたのだ。

薩摩藩は、石工衆にこれらの橋を作らせておきながら、
軍事機密を知る彼らを、生かして帰す気はなかった。

「永送り」― 折を見て、石工衆を一人一人刺客の手にかけていたのだった。
最後のひとりとなった三五郎も帰路の途中、刺客・徳之島の仁に追いつかれてしまう。

しかし刺客の仁は、三五郎を斬りたくないという。
仁は三五郎にひとしきり身の上を話した末、酒に酔って眠ってしまった。
翌朝、果たして三五郎は無事であった。見逃されたのだ。

仁は近くに住む河原乞食の首を斬り、三五郎の代りとして持って帰っていったのであった。
これは三五郎の知らぬ所で為されたことであった。

事の次第を察した三五郎は、自分だけ生き残ってしまったこと、
自分の代わりに河原乞食が殺されてしまったことに苦しみつつ、
河原乞食の遺児の姉弟、里と吉を連れ、故郷の肥後砥用村へと帰る。

故郷の村でも悩んだ末、ひとり生き残った顛末を村の皆に話す。
同情する向きもあったが、家族を殺されたものは納得がいかない。
1人だけ生きて帰ったことから、仲間を売ったと、恨まれ、疎まれてしまう。

三五郎は自分も死ぬべきであったと苦しむも、
自分の身代わりとなった乞食の遺児を、一人前にする前に死ぬわけにはいかぬと思い直し
自らの石工の技を伝えるべく遺児・吉と山の石切場で日々を過ごす。
かつては他の石工仲間とも、ここで作業をしたが、今は吉と二人きりである。

一方、遺児・里も三五郎の家の畑仕事を手伝うが、三五郎のことは親の仇と思い込み続けていた。
ある日、同じく父・鶴八が薩摩で永送りにされた経緯を聞いて以来、
三五郎のことを恨みに思っていた鶴八の息子・宇助と里が共謀し、
石切場で三五郎の命を狙うという事件が起こる。

その後、三五郎と宇助は和解し、元のような師弟の間柄に戻る事ができた。
しかし、姉弟はその日を境に出奔、行方がわからなくなってしまう。

失意の三五郎のもとに、旧知の庄屋・三隅丈八が訪ねてくる。
丈八の用件は、三五郎に石橋をかけてほしいという話だった。 …。

ずっと頭の隅に引っかかっていたタイトルだったので、ついに読んだかと言う気持ち。


持病は悪くないが、特段良いわけでもないとのこと。
いつものことさ。これで突発的に悪くなるんだ。

別途、首が痒い(汗疹?)ので、薬を処方してもらう。
次回予約日は11月11日。WW1の終戦記念日。


海老天丼食べて帰る

海老天丼。1000円。これに汁物があると嬉しい

小さく見えるけど普通に腹イッパイ。1000円で海老これだけ(12尾)食えたら満足感。
モノは美味しかったし料理もサービスも満足。
…なんだけど、食べてる間中ずっとハエが執拗に纏わりついており、残念ながら居心地が…。
無念である。

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