肥後(熊本)は砥用村の石工、岩永三五郎はその腕を買われ、
薩摩藩(鹿児島)で石工衆の頭として、石橋を作る任にあたっていた。
その石橋は見事なアーチ橋でありながら、ある仕掛けが施されていた。
有事の際には要の石を抜くと容易に崩壊し、敵の侵入を防ぐような仕組みとなっていたのだ。
薩摩藩は、石工衆にこれらの橋を作らせておきながら、
軍事機密を知る彼らを、生かして帰す気はなかった。
「永送り」― 折を見て、石工衆を一人一人刺客の手にかけていたのだった。
最後のひとりとなった三五郎も帰路の途中、刺客・徳之島の仁に追いつかれてしまう。
しかし刺客の仁は、三五郎を斬りたくないという。
仁は三五郎にひとしきり身の上を話した末、酒に酔って眠ってしまった。
翌朝、果たして三五郎は無事であった。見逃されたのだ。
仁は近くに住む河原乞食の首を斬り、三五郎の代りとして持って帰っていったのであった。
これは三五郎の知らぬ所で為されたことであった。
事の次第を察した三五郎は、自分だけ生き残ってしまったこと、
自分の代わりに河原乞食が殺されてしまったことに苦しみつつ、
河原乞食の遺児の姉弟、里と吉を連れ、故郷の肥後砥用村へと帰る。
故郷の村でも悩んだ末、ひとり生き残った顛末を村の皆に話す。
同情する向きもあったが、家族を殺されたものは納得がいかない。
1人だけ生きて帰ったことから、仲間を売ったと、恨まれ、疎まれてしまう。
三五郎は自分も死ぬべきであったと苦しむも、
自分の身代わりとなった乞食の遺児を、一人前にする前に死ぬわけにはいかぬと思い直し
自らの石工の技を伝えるべく遺児・吉と山の石切場で日々を過ごす。
かつては他の石工仲間とも、ここで作業をしたが、今は吉と二人きりである。
一方、遺児・里も三五郎の家の畑仕事を手伝うが、三五郎のことは親の仇と思い込み続けていた。
ある日、同じく父・鶴八が薩摩で永送りにされた経緯を聞いて以来、
三五郎のことを恨みに思っていた鶴八の息子・宇助と里が共謀し、
石切場で三五郎の命を狙うという事件が起こる。
その後、三五郎と宇助は和解し、元のような師弟の間柄に戻る事ができた。
しかし、姉弟はその日を境に出奔、行方がわからなくなってしまう。
失意の三五郎のもとに、旧知の庄屋・三隅丈八が訪ねてくる。
丈八の用件は、三五郎に石橋をかけてほしいという話だった。 …。
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